技能を習得するにつれて、
作業をする前から、「これをこうすればこうなる」と
わかるようになります。

また、頭で考えながらやっていたことが、
考えなくても自然にできるようになります。

技能に限らず日常でも、同様のことが起こります。
生まれた時はできなかったものでも、
今は考えずに自然とできることが、
いくつもあります。
例えば、箸の持ち方、自転車や車の乗り方、
パソコンやスマホの操作方法などです。

このような「考えなくてもできる、わかる」状態は、
その人の心的イメージが以前と比べて成長し、
豊かになっていることを示す一つの証拠と考えられます。

技能五輪選手の心的イメージ

国内大会でトップクラスの技能を発揮する選手や、
国際大会で上位の成績を獲得する選手は、
多層的で精緻な心的イメージを持っています。

例えば、
一つのミスが命取りになるような高難易度の競技課題で、
ある選手は重要な局面で作業ミスをしてしまいました。

そのため「もうダメだな」という考えが頭をよぎりました。

しかしすぐその後に思考を切り替えて原因分析を行い、
起こる確率の高い原因を3つほど想定して、
順番に原因の分析を行いました。

その結果、比較的早い段階でミスの原因を突き止め、
そのミスのリカバリは困難だったものの、
「もうダメ」なミスではなく、
全体の品質への影響は軽いということがわかりました。

そこで、さらなる品質の低下を予防するために計画を立て直し、
制限時間内に可能な最善の作業を行いました。

最終的には、そのミスは想定どおり全体の品質に大きく影響せず、
十分に許容範囲となる品質で作業を終えることができました。

この選手が「もうダメだな」から素早く切り替え、
作業ミスの原因を突き止めて適切な判断ができた背景には、
2つの訓練がありました。

1つは、「考える順番」に関する訓練です。
作業ミスのデータベースを作り、
指導者と一緒に原因の分析手順や対処の優先順位などを構築しました。

もう1つ行ったのは、
擬似的に「もうダメだな」という思考が起こるよう
訓練の負荷を調整し、
「もうダメだな」がインプットされた状態で
「考える順番」を正しく思い出して実行する訓練です。

この2つの訓練を段階的に行うことで、
多くの選手が「もうダメだな」と諦めてしまうような状況でも、
思考を切り替え、適切な判断を選択する技能を習得していきました。

経験を消化して心的イメージが成長する

技能を伝えることは、人の成長と食べ物の関係に似ている部分があります。

生まれたばかりのときは、消化できるものやその量が限られます。
したがって、離乳食のような消化しやすい食べ物を、
少量ずつ食べることになります。

そうして食べたものを消化し、栄養に変えることで、
徐々に成長していきます。

成長がすすむと、食べられるものの種類や量が増えます。
それらの消化を通して得られる栄養も増え、
さらに成長していきます。

このようにして人は、食べ物を消化し栄養に変え、
成長していく側面を持ちます。

ですから、離乳食が必要な時期に大人と同じものを食べることは
出来ませんし、万が一そうしても消化できないため栄養にならず
成長につながらない場合や、逆に成長を阻害する場合もあります。

技能を伝えることも同様と考えられます。

訓練を通して、伝え手は受け手に様々な経験を提供します。
受け手は経験を頭の中の作業場である「ワーキングメモリ」で消化し、
経験を知識、やり方、水準、向上の仕組みなどに変換します。
この消化は、「意味付け」とも呼ばれ、
経験は意味付けされてはじめて長期記憶に蓄えられます。

ですから、何の意味があるのかわからない経験は
消化できない食べ物のようなもので、長期記憶に蓄えられにくくなります。
この場合、経験を重ねても、技能の習得は進みません。
これは「熟達化交互作用」と呼ばれます。

受け手の習得段階から考えると難易度が高過ぎる訓練課題や、
訓練の量が多すぎると過剰な負荷となり、
意味付けするために必要なワーキングメモリの作業を阻害するため、
長期記憶に蓄えられにくくなるのです。

例えば、前述の選手は、「考える順番」について習熟した段階で、
「もうダメだな」となる状況で、つまり高い訓練負荷の中で、
「考える順番」を実行する訓練を行いましたが、
もし原因分析の手順や対処の優先順位について
十分に習熟していない段階で、「もうダメだ」と感じるような高い訓練負荷を
かけられ、「考える順番」を発揮するように求められていたとしたら、
過剰負荷となり、消化することは難しかったと考えられます。

つまり、受け手の成長段階に適した経験が訓練で提供されたとき、
経験は消化され、受け手の心的イメージが成長します。
それによって技能の習得が進むと考えられます。

ですから、伝え手のみの基準で訓練の負荷を調整した場合、
経験の消化不良が起こり、技能の成長が阻害されるかもしれません。

その経験は消化できているか?

経験を重ねることで人の技能は成長しますが、
経験の質で、技能が成長する速度は変わります。

良かれと思って実施している訓練が過剰負荷の場合や
過小負荷の場合、技能の成長は想定したよりもゆっくりだったり、
全く成長しなかったりします。

なぜなら、経験が消化されず、心的イメージが豊かにならないからです。

その意味で、
訓練において最も難しいことの一つは、最適な負荷を経験してもらうこと、
すなわち負荷マネジメントだといえます。

最適な負荷の経験を重ねた先に、
目配せしただけで、言わなくても何をすべきかわかるような、
暗黙の了解や阿吽の呼吸が可能となるような技能の伝達があり、
伝え手を離れ、受け手自身が自分の技能を向上させていく、
すなわち自立した技能者になるのだと考えられます。