伝統工芸や古美術品の売買、オーダーメードを手がけるの岡本国裕さんが、伝統工芸品や古美術品を国内や海外で取引する中で、職人さんや海外の文化から学んだこと、数々の試行錯誤や実験を通して気づいたことについて、お話してくださいました。第6回目は、「試行錯誤を安全に学ぶ機会」や、海外と国内の「ニーズの掛け違い」から生まれる枯れた価値の再評価についてです。

 


羽田野

好きなのがベースにあって、だからあれもこれもやってみようって思っていて。でもやりっぱなしにもならないって伺っていると思っていて。ヒットするかしないかをきちんと確かめてるんですかね。

何気なく気づくこともあると思うんですけど、割とやったことの効果、効果って言葉があってるかわからないですが、やったことが期待した通りなのかそうじゃないのかを意識して振り返ってらっしゃるのかなって思うですけど、こういう振り返るのって意識してやってらっしゃるんですか?

岡本

学生時代にオートバイにハマって。単純に部品変えて自分で乗ってそれを体感するって趣味だったんですけど、途中から友だちの誘いでレースに出るようになったんですよ。

完全にプライベートなんで、自分で働いてパーツ買ってきて、それをサーキットで走って、タイムで判断するってやったときに、かなり細かいサイクルでタイヤ替えたり部品変えたりするんですよ。

羽田野

変えるといことを、何回も繰り返すんですね。

岡本

たとえばAというパーツを試して、Bというパーツに変えて、Bはいいなって思っても、Aに戻ってみると、Aのほうがもっと良かったりするってことがあって、最初めんどくさかったんですけど、自分の感覚で結果がともなうと楽しくなってくる。

羽田野

トライ・アンド・エラーが好きかというと、そういうわけでもなくて、好きなバイクをやるために、嫌だなと思いながらやっていた部分もある。でもそれで速くなっていくことがわかると、っていう流れなんですね。どのくらいから楽しいなってなったんですか?

岡本

たぶん工夫自体に何かしら興味があったと思うです。図画工作とかものづくり、レゴとか。料理したりとか。

ものづくりって全般的に工夫なんで、それがたぶんもともと自分は好きだったのだと思うんです。

表現して人にほめてもらうとか、価値があったんです。そこが結構大きかったかなって思うんですね。

羽田野

土台としては工夫をしてて、そこには試行錯誤もあって。もともと好きだった部分もある。それに加えて実際にオートバイでレースをやったりして、具体的にこれを試したらこうなる、これを試しらこうなる。じゃあこっちのほうがいいやってことを繰り返す土台が、学生時代からあった。土台があったことは、展示とか職人さんの試行錯誤に、どんなつながりがありそうですか?

岡本

オートバイのときの経験っていうのは、いろんなものに活かされてて。学生時代ってテスト勉強あったじゃないですか。あれ大っ嫌いだったんですよ。ところがレースになった瞬間に、いわばレースはテスト本番で、練習は勉強と同じという。

「あ!これレースも一緒や」と。人生ってこういうものなんだなってはじめてわかって。嫌なこといっぱいありましたし、こけるし怪我するし。

でも好きなんで、それをなんとも思わずに、必死こいて働いて、そのお金をバイクに費やし、なんのためにやってるんだろう、誰に称賛されるわけでもないのに、あの競争環境にいる事が楽しかった。2年間くらいやってたんですけど、あの時間がすごく人生勉強させられて。あ、これはこれに活かされるなとか。

羽田野

人生勉強の土台になってるんですね。2年間。学生のときに2年間で得たものからすごく色々なものにつながっていると思っていて、学生時代に得たものと今やってることで、バイクもそうだと思うんですけど、他にも試行錯誤するとか、人のパッションを他の人に伝えるとか、いいものを発見する、出会う。こんなものとつながってるのってどんなものがあります?

岡本

最初は発信をする側だったんですけど、一度海外に持っていくと、入力が新しく出てきて、お客さん側からのニーズですね。日本の伝統工芸士さんみんなに伝えてるんですけど、特に若手の工芸士さんによく見られるところが、すごいニッチなアイテムがいっぱいあるんですよ、日本て。

こんなところ攻めてくるかって。たとえば無印さんなんかもあったらいいなグッズがいっぱいあるんですけど、歯ブラシのスタンドて丸くてちっちゃくて陶器のがありますよね。

ああいうものとかも、日本人だからあったら便利って買っちゃいますけど、外国人なんかは「そんなもんいらんわ」と。「なんでこんなものあるんだ」という視点なんですよ。

結局、日本はものが溢れかえってるんで、ないものを探して、「こんなんあったらどうだ」って試行錯誤を皆さん繰り返してるんですね。でもそういう日本人の感性、感覚で、ちょっとこれ面白いなって思って海外に持っていくと、全然受け入れてもらえなかったり。要は理解されないんです。

羽田野

「なんでこれ必要なの?なくてもいいじゃん」みたいに。

岡本

なぜかというと、日本は隙間がないくらい物が溢れてるんですけど、海外に持っていくとその手前がないんで。そのパズルが抜けちゃって。

羽田野

そもそも必要ってなる段階を踏めない。手前が空いちゃってるから。

岡本

だから、理解されないんですよ。

羽田野

そうなると、「あったらいいね」に至るプロセスが実はあって、日本人はそこを全部進んできてるからここがニーズってなってる。でも実はそこまでの間が抜けてるんですね。

岡本

これ結構面白くてですね。なるほどと思って。ハワイのショッピングセンター行って、iPhoneケースがかっこよく見えるパネルを作ろうと。頭の中で出来上がってたんですよ、設計図は。

イメージも出来上がった状態で向こうにいって、ホームセンター行ったら、その適切な材料が無いし、代替え材料はデカいっていう。

羽田野

サイズも大きいし、そもそも無い

岡本

日本で材料を買って展示材作ろうと思ったら、iPhoneケースの場合は簡単なので、発泡ボードなどを組み合わせて、簡単に両面テープと一緒にくっつけちゃうわけですよ。厚紙かなんかとね。

ハワイってまずそういうのがないですね。で、似たようなもので代用探そうと思ったら、4メータークラス。これちょっと余るなと。切り売りしていたので、カットコーナー持っていって、この寸法にカットしてくれってオーダーするんですけど、機械が壊れてカットできないんですよ。

「なんだそれ」と。「もう材料買った」と。

羽田野

壊れちゃってる。

岡本

いつ直るんだ?日本だったら、今修理屋さんくるから、何時間待ってくれってなるじゃないですか。または買う前にサービス受け付けられないよって。

羽田野

そんなことになるんですね。

岡本

「なんだこれ」って思って。それで慌てて他のホームセンター行ったんですけど。まず根本的に、日本のホームセンターってのは、家のいろんなものが出来上がってて、何かプラスアルファのもの買う場所じゃないですか。

向こうのホームセンターって家立てる材料なんですよ。床とか支柱とかバスタブとか。スケール違うなと。

羽田野

ホームセンターの目的が日本と違う

岡本

日本は家があって、最低限の設備が出来上がってて、残り自分たちが工夫したい道具を提供する場所なんですけど、向こうは家作れと。ここで受けたカルチャーショックと、売り場でのショックって結構近かったんですよ。

要は日本は充実し過ぎてることに気がついたんですよ。

羽田野

充実しすぎているがゆえに、ニーズが外国と比べると特殊になっているとか。試行錯誤するにしても、割と整った状態から試行錯誤出来る状況。それが海外に行くと、もっと手前側からやらないといけない。

岡本

なんならと土地買ったところから始まる。

羽田野

「土地買って、家を建てましょうね」。日本の場合は、「家が建ってますね、その中でこうしましょうね」と。やりたいと思うことも違うんでしょうか。

岡本

スタートラインが根本的に違うんでしょね。昔のガラケーあったじゃないですか。知人が海外でスマートフォン買ってきて日本に入れてるって話をきいたときに、「日本の携帯は海外に売れないんですか」ってきいたら、「マニアックなやつしか買わない」と。

無駄なものいっぱい付いてて。ガラケーって現象が、携帯だけじゃなくて、日本のすべてにあてはまるのかなと。日本から一歩外出て、台湾とか近い国でも、そういうショックあったりとか。

カルチャーショックって言葉とか風習以外のことでも結構あって。これ早速日本に持って返って職人さんに伝えるんですよ。仲いい職人さんに、海外では古典的なところにチャンスがありますよって。そこから新しい需要が生まれまして。