大事なことほど何度も伝えるものですが、その割に、相手の理解を得られないことがあります。また、相手にとって必要で有益と思われる情報を出来るだけたくさん伝えたつもりが、全く相手の記憶に残っていないこともあります。そこで重要となるのが「わかりやすさ」です。

この記事では、「わかりやすさ」の感覚を説明する心理学的要因の一つ、「処理流暢性」に注目して、情報を伝えるとき、それがわかりにくくなる要因、わかりやすさを促す要因について、メッセージを発信するという立場から、整理してみたいと思います。

聞き手に情報を理解してもらうには、まず聞き手の頭に情報がインプットされる必要があります。ただ一般的に、伝えたいことが多くなるほど、聞き手の情報処理に負荷がかかり、処理落ちしたり、つまみ食い的に処理されたりするため、聞き手の頭にインプットされにくくなります。こうした情報処理のプロセスで生まれる負荷を、認知負荷といいます。たくさんの情報を伝えるためには、できるだけ聞き手の認知負荷を軽減させる工夫が有益とされ、たとえば情報を小分けにして提示する、優先順位づけや絞り込みで量を整理する、見やすいレイアウトやフォントを選択するなどが、認知負荷を削減する工夫としてあげられます。

しかしこれらの工夫をしてもやはりインプットされない場合があります。なぜこれらの工夫がわかりやすいと感じるのか?」を処理流暢性の視点から整理すると、工夫をアップデートできるかもしれません。以下では、専門論文誌である心理学研究に掲載された「」から、処理流暢性の特徴、効果を解説し、メッセージを発信する立場の人ができる工夫について考えてみたいと思います。

処理流暢性とは、「人の認知的処理の容易さに関する主観的体験」とされます。少々乱暴に要約すると、聞き手があまり努力や時間を使うことなく情報を「わかった」と感じられることです。これまでの研究から、処理流暢性が高い情報は、以下のような結果をもたらすようです。

  • 情報への好意が増す
  • 情報への親近感が増す
  • 情報の真実性が増す
  • 情報の有名性が増す
  • 問題や課題の場合、難易度の評価が下がる

処理流暢性が高いことによって得られるこうした影響は、流暢性効果と呼ばれます。

では、どのような情報が流暢性を上げたり下げたりするのでしょうか。研究では一般的に以下のような方法で流暢性をコントロールするようです。

  • 反復提示:何度も見せる。
  • プライミング提示:例えばカエルを見つける課題の前にFrogという単語をそれとなく見せるなどして、カエルを認識しやすいようにする。
  • 提示時間:同じ情報でも長く提示した方が処理流暢性が増す
  • コントラスト:フォントの種類や大きさ、余白の使い方など
  • 位置:例えば効果を示したい情報の場合、欧文文化では左にビフォー、右にアフターを置いた場合の方が、逆の場合より効果が認識されやすい
  • 発音のしやすさ:語感がよい、韻を踏むなど、口にしやすかったり、そのときの感覚が良いもののほうが、流暢に処理される
  • 表情:頬を膨らませてポスターを見た人たちの方が、眉毛をひそめてポスターを見た人たちよりも、ポスターを好意的に評価した

CMが力を発揮する背景の一つには流暢性効果があり、例えば何度もCMで見ているうちに全く知らない会社の名前を覚えてしまいます。もしその会社から営業のメールが来たら「あ、知ってる会社だ。話を聞いてみよう」となったりします。その時点で、その会社への好意、親近感、真実性などが形成されていると考えられます。

もっとも、これらのどれもオーソドックスな情報提示法であり、それをやっているのになぜうまくいかないのか?が重要です。例えば「大事なことを何度も言っている」なら流暢性が増しそうですが、伝わっていないならその情報は好意的に受け止められていないと考えられます。

ではなぜ、処理流暢性が高まりそうな方法で、メッセージ自体が聞き手にとって有益と思われる情報を何度も伝えているのに、流暢性効果を得られないのでしょうか?ここではメッセージの内容は考慮せず、処理流暢性のみに注目します。

まず、処理流暢性が低い情報はどう受け取られるか整理してみます。

  • 好意的に受け取られていない。
  • 親近性が低く、自分に身近で関連性のある情報と受け取られない
  • 真実性が低く、鵜呑みにできない。嘘っぽい。
  • 難易度が高く、理解する努力を引き出せない。
  • 発音しにくく、聞き手の中で情報が再現されにくい。
  • 眉をひそめるほど難しい。

ここで筆者が注目するのは後半の2つ、「発音しにくい」と「眉をひそめる」です。そもそも、聞き手の中で再現されにくい情報は、何度反復しても、プライミングしても、長時間提示しても、聞き手の記憶にインプットされていない可能性があります。目で見る、音で聞くのどちらで認識できるにせよ、「聞き手の中で再現しやすい形に情報が加工されているか」は重要な視点だと感じます。聞き手の中での再現性にも注目したいところです。

流暢性は絶対正義ではない

流暢性が高いことはいつでもOKか?一概には言えない。流暢性が低い情報は熟慮しやすく、流暢性が高い情報はカンで処理されやすい、とされます。ちゃんと理解して考えて決めないといけないことについては、流暢性の高さがプラスにならない場合もあると言えます。

インプットの段階で詰まっていると思われる場合

とはいえ、インプットしてもらわないと始まらないことについては、流暢性は味方につけるべき心理学的要因。理解を得られないな、とか伝わらないな、と思った時、「もしかして流暢性が低いのでは?」と自分に問いかける。解決の糸口が見つかるかもしれません。